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       題しらず 素性法師  
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   いづこにか  世をばいとはむ  心こそ  野にも山にも  惑ふべらなれ
          
        いったいどこに、この世の憂さを嫌って身を隠そうか、たとえそうしたとしても、野でも山でも、きっと心は惑うに違いないのに、という歌。

  「野にも山にも」という表現を使った他の歌に、675番の「春霞 野にも山にも 立ち満ちにけり」という読人知らずの歌がある。また、素性法師の歌としては、95番の「いざ今日は 春の山辺に まじりなむ」という歌をはじめ、96番や 126番などに野遊びの歌がある。素性はすでに 「法師」なので、「出家」するわけにもいかず、それでも「世を厭ふ」という気持ちがあるのだが...という感じで見ても面白いかもしれない。 「べらなれ」という言葉を使った歌の一覧は 23番の歌のページを参照。 
「〜をば〜こそ」というかたちを持った歌の一覧は 278番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/28 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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