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       これさだのみこの家の歌合せのうた 壬生忠岑  
214   
   山里は  秋こそことに  わびしけれ  鹿の鳴く音に  目を覚ましつつ
          
        山里は秋はことさら侘しいものだ、鹿の声に目が冴えて眠れない、という歌で、地味だが後半で読む者を一気に夜中に誘い込むような効果を持っている。この忠岑の歌に対し、次の読人知らずの歌はそれに静かに答える幻聴のようにも感じられる。

 
944   
   山里は   もののわびしき  ことこそあれ  世の憂きよりは  住みよかりけり
     
        また、冬こそ山里の凄みが増すのだという源宗于(むねゆき)の歌もある。

 
315   
   山里は  冬ぞさびしさ    まさりける   人目も草も  枯れぬと思へば
     
        詞書にある 「是貞親王家歌合」では、この歌の 「わびしけれ」は 「さびしけれ」となっているが、宗于の冬の 「さびしさ」と並べてみると、この忠岑の秋の 「わびしさ」は 「さびしさ」では置き換えられないような感じを受ける。このあたりが言葉の微妙なところであろう。 「わびし」という言葉を使った歌の一覧は 8番の歌のページを参照。

  秋歌上では、この歌から五首 「鹿」の歌が続くが、古今和歌集の全体で見ると、次のような歌で 「鹿」が詠われている。

 
     
214番    鹿の鳴く音に  目を覚ましつつ  壬生忠岑
215番    奥山に  もみぢ踏みわけ 鳴く鹿  読人知らず
216番    山下とよみ  鹿の鳴くらむ  読人知らず
217番    秋萩を  しがらみふせて 鳴く鹿  読人知らず
218番    尾上の鹿  今や鳴くらむ  藤原敏行
233番    つま恋ふる  鹿ぞ鳴くなる 女郎花  凡河内躬恒
312番    夕月夜  小倉の山に 鳴く鹿  紀貫之
439番    をぐら山  峰たちならし 鳴く鹿  紀貫之
582番    秋なれば  山とよむまで 鳴く鹿  読人知らず
1034番    秋の野に  妻なき鹿の 年をへて  紀淑人


 
        また、983番の喜撰法師の歌の「みやこのたつみ しかぞすむ」に 「鹿」を見るかどうかは微妙なところである。

 
( 2001/08/29 )   
(改 2004/03/10 )   
 
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