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       題しらず 読人知らず  
825   
   忘らるる  身を宇治橋の  なか絶えて  人もかよはぬ  年ぞへにける
          
        忘れられた身はつらいもので、仲が絶えたまま、通う人もなく月日が過ぎました、という歌。

  "身を宇治橋" は 983番の「世をうぢ山と 人は言ふなり」という喜撰法師の歌と同じで 「身を憂」に掛けたもので、それに合わせて 「宇治橋」が途中で途絶えて渡れないことと、二人の仲が絶えて相手が通ってこないことを言っている歌である。 「宇治橋」は宇治川に掛かる橋で、現在の京都府宇治市宇治にある。 「身をう〜」という歌の一覧については 806番の歌のページを参照。 また、 
「宇治の橋姫」の歌が 689番に、 「宇治の橋守」の歌が 904番にある。

  この歌は恋歌五の終わりから四番目にあって、その次には橋つながりで、次の坂上是則の 「長柄の橋」の歌が置かれている。

 
826   
   あふことを  長柄の橋 の  ながらへて  恋ひ渡る間に  年ぞへにける
     
        両方とも 「年ぞへにける」という結句が同じであり、「宇治橋」の方が 「嘆く女」、是則の 「長柄の橋」の方が 「沈思する男」の歌にも見えないこともない。

  「忘らるる」ではじまる歌には 514番の読人知らずの「忘らるる 時しなければ あしたづの」という歌があり、「年ぞへにける」はまた、次の貫之の「月日へにける」という歌も思い出させる。

 
605   
   手もふれで  月日へにける   白真弓  おきふし夜は  いこそ寝られね
     
        「経(ふ)」という言葉が使われている歌の一覧は 596番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/19 )   
(改 2004/02/09 )   
 
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