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       題しらず 読人知らず  
806   
   身を憂しと  思ふに消えぬ  ものなれば  かくてもへぬる  世にこそありけれ
          
        我が身を憂いものと思っても消えるわけではない、だからこのまま過してゆく世の中なのだ、という歌。厭世の歌のようでもあるが、恋歌五に置かれている。

  望みが消えても、それに合わせて消えるわけではないこの体を、という感じであろう。 「世にこそありけれ」と結んでいる他の歌としては、次の小野滋蔭の 「たちばな」の物名の歌などがある。 
「世にこそありけれ」という言葉を使った歌の一覧は、その 430番の歌のページを参照。

 
430   
   あしひきの  山たちはなれ  行く雲の  宿りさだめぬ  世にこそありけれ  
     
        歌としては "かくてもへぬる" が投げやりのようで雑な感じもするが、これをもっと極端にすると 
347番の仁和帝(=光孝天皇)の「かくしつつ とにもかくにも ながらへて」という歌のような別の味が出てくる。また、次の読人知らずの歌と並べても面白いかもしれない。

 
981   
   いざここに    我が世はへなむ   菅原や 伏見の里の 荒れまくも惜し
     
        「経(ふ)」という言葉が使われている歌の一覧は 596番の歌のページを参照。

  また、この歌では "身を憂し" とそのままで詠われているが 「身をう〜」という言葉によって「身を憂」を合わせた歌にをまとめてみると次のようになる。似たような表現として 「世をう〜」というものもあり、その一覧については 798番の歌のページを参照。

 
     
623番    みるめなき  我が身を浦と 知らねばや  小野小町
806番    身を憂し  思ふに消えぬ ものなれば  読人知らず
825番    忘らるる  身を宇治橋の なか絶えて  読人知らず
938番    わびぬれば  身を浮草の 根を絶えて  小野小町


 
( 2001/12/04 )   
(改 2004/03/10 )   
 
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