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       題しらず 紀貫之  
605   
   手もふれで  月日へにける  白真弓  おきふし夜は  いこそ寝られね
          
     
  • 白真弓 ・・・ マユミの木に何も塗装をしないで作った弓 (しらまゆみ)
  "いこそ寝られね" は 「寝ぬ(いぬ)」に 「こそ」が間に入ったかたち。 「弓」の縁語で「射」が掛けられているといわれる。また 610番の春道列樹(はるみちのつらき)の歌に 「梓弓〜よるこそまされ」とあるように、「夜」は弓を引いて矢と弦が身に 「寄る」ことを掛けている。契沖「古今余材抄」では 「
弓のふりたつると引きふせるとをおきふしといふ」とし 「おきふし」も弓を扱う動作として弓の縁語とみなしているが微妙。古今和歌集の配列で言えば、一つ前の 604番の歌の 「芽もはるに」から 「はる−張る」つながりでこの 「白真弓」の歌が置かれているという感じはする。

  歌の意味は、
手も触れずにこうして月日が経ってしまったことを思って、起きたり伏したり思い悩む夜は、眠ることなどできない、ということ。 「こそ」の係り結びで連用形で 「寝ね」から 「寝られね」という終わり方が、現代から見ると面白い味を出している。似たようなものとしては 659番の読人知らずの歌に「川と見ながら えこそ渡らね」というのがある。 "月日へにける" の 「経(ふ)」という言葉が使われている歌の一覧は 596番の歌のページを参照。

  古今和歌集の中で 「弓」は 「梓弓」が六首で一番使われている数が多く、それ以外にはこの貫之の歌と次の 「採物の歌」にもう一つ 「真弓」の歌がある。 「弓」を使った歌の一覧は 20番の歌のページを参照。

 
1078   
    陸奥の  安達の 真弓   我が引かば  末さへよりこ  しのびしのびに
     
        また、この歌の "おきふし夜は" という感じは、言葉遣いとして次の素性法師の賀歌を思わせるものがある。

 
354   
   ふして思ひ    おきて数ふる   万代は  神ぞ知るらむ  我が君のため
     

( 2001/10/12 )   
(改 2004/02/09 )   
 
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