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       かたの 壬生忠岑  
462   
   夏草の  上はしげれる  沼水の  行く方のなき  我が心かな
          
        「ゆくカタノなき」という部分に地名の 「かたの(交野)」が詠み込まれている。交野は、現在の大阪府枚方市・交野市のあたりで、天皇家の遊猟地であった。 418番の業平の 「狩して天の河原に至る」という歌の天野川もこのあたりを流れ、近くに淀川があることから、一つ前の 461番の貫之の 「よどがは」の歌に並べて置かれたものか。そこでの 「晴るる時なき」とこの歌の "行く方のなき" もペアになっているようにも見える。

  歌の意味は、
夏草が上に繁った沼水のように、どこにも向かいようのないこの心である、ということ。 "行く方のなき" というのは次の読人知らずの歌にも出てくる表現だが、現在でいう 「やるせない(遣る瀬ない)」というニュアンスもありそうである。 「ゆくへ(行方)」という言葉を使った歌の一覧については 80番の歌のページを、その他の 「方」の歌については 201番の歌のページを参照。

 
488   
   我が恋は  むなしき空に  満ちぬらし  思ひやれども  行く方もなし  
     
        また、似たような言葉遣いの歌に 538番の「浮草の 上はしげれる 淵なれや」という読人知らずの歌があり、「夏草」ということでは次の躬恒の歌がある。

 
686   
   枯れはてむ  のちをば知らで  夏草の   深くも人の 思ほゆるかな
     
        「しげる」という言葉を使った歌の一覧は 550番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/28 )   
(改 2004/02/25 )   
 
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