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       返し 小野小町  
557   
   おろかなる  涙ぞ袖に  玉はなす  我はせきあへず  たぎつ瀬なれば
          
     
  • せきあへず ・・・ とどめることができない
  • たぎつ瀬 ・・・ 水が激しく流れる川瀬
  安倍清行が真静法師の法話を聞いて、それを元に、つつんでも袖にたまらない「白玉」は貴女に逢えない私の涙なのです、と言ってきたものに対する返しの歌である。元が法華経の「衣裏繋珠の譬え(えりけいじゅのたとえ)」であるとすれば、この小町の歌の出だしは、経文の中の次の部分を使ったものであると言えよう。

    甚為痴也  (はなはだこれおろかなり)

  これは親友が衣の裏に宝玉をかけておいたのを知らずに、長い間苦労して自活してきた人を、その親友が見て言った言葉である。

  歌の意味は、
玉になるぐらいの涙なら大した事はない、私の方は堰き止められないほどの激流になっていますよ、ということ。軽い返しであまり深刻な感じはしないが、古今和歌集の配列で見ると、552番から 554番にかけて 「夢に逢う恋」を詠っていた小町が、555番の素性法師の 「つれなき人」の歌を経由して、今度は自分がつれない言葉を返す立場になっているという趣向に見える。

  "おろか" という言葉は古今和歌集の他の歌には見られない言葉である。一方 "たぎつ瀬" という言葉は、冬歌に一つ、恋歌にあと四つ現われる。

 
319   
   降る雪は  かつぞけぬらし  あしひきの  山の たぎつ瀬   音まさるなり
     
493   
   たぎつ瀬 の  なかにも淀は  ありてふを  など我が恋の  淵瀬ともなき
     
592   
   たぎつ瀬 に  根ざしとどめぬ  浮草の  浮きたる恋も  我はするかな
     
660   
   たぎつ瀬 の  はやき心を  何しかも  人目つつみの  せきとどむらむ
     
673   
   あふことは  玉の緒ばかり  名の立つは  吉野の川の たぎつ瀬 のごと
     
        「あへず」という言葉を使った歌の一覧については 7番の歌のページを参照。

 
( 2001/06/18 )   
(改 2004/01/30 )   
 
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