| 音羽の山のほとりにて人をわかるとてよめる | 紀貫之 | |||
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同じ貫之の 579番の恋歌に「五月山 梢を高み 郭公」とあり、夏歌には 142番の紀友則の「音羽山〜梢はるかに 今ぞ鳴くなる」という歌があって、この歌と近く、また哀傷歌として詠われた貫之の「郭公 今朝鳴く声に おどろけば」という 849番の歌も思い出される。 "惜しむべらなり" は 「惜しんでいるようだ」ということで、同じ結び方をしている歌に次の読人知らずの歌がある。 |
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| 「音羽山」の近くに 「逢坂」があり、恋歌であるが次の在原元方の歌のようにそれらを同時に詠んだものもある。 |
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| 「べらなり」という言葉を使った歌の一覧については 23番の歌のページを参照。 |
| ( 2001/09/26 ) (改 2004/01/06 ) |
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