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       深草の里にすみ侍りて京へまうでくとて、そこなりける人によみておくりける 在原業平  
971   
   年をへて  住みこし里を  いでていなば  いとど深草  野とやなりなむ
          
     
  • いとど ・・・ いっそう
  詞書は 「深草の里に住んでいて、京に行く、ということで深草の里で親しくしていた人に詠んでおくった」歌ということ。業平が深草に住んでいた時期については不明。

  歌の意味は、
長年住んてきた里を出て行けば、その後、深草の地はいっそう草深い野となってしまうだろうか、ということ。この歌には次のような読人知らずの返しが付いている。

 
972   
   野とならば   うづらとなきて  年はへむ   かりにだにやは  君がこざらむ
     
        「年をへて」という言葉を使った歌の一覧は 596番の歌のページを参照。 "いでていなば" という言い方は、365番の行平の「立ち別れ いなばの山の 峰におふる」という離別歌を連想させる。 「いとど」という言葉を使った他の歌には、恋歌一の 545番に「夕されば いとどひがたき 我が袖に」という読人知らずの歌がある。

  「深草の里」は、現在の京都府京都市伏見区の 「深草〜」と名のつく地域のことで、その地に葬られたことにより 「深草のみかど」と言われた仁明天皇を偲ぶ次のような歌がある。

 
846   
   草深き  霞の谷に  かげ隠し  照る日の暮れし  今日にやはあらぬ
     
847   
   みな人は  花の衣に  なりぬなり  苔の袂よ  乾きだにせよ
     
        また仁明天皇が亡くなってから約四十年後の 891年に太政大臣・藤原基経が没した時に作られた次の二つの歌でも「深草」が詠まれている。

 
831   
   空蝉は  殻を見つつも  なぐさめつ  深草の山   煙だにたて
     
832   
   深草の   野辺の桜し  心あらば  今年ばかりは  墨染めに咲け
     

( 2001/12/06 )   
(改 2004/01/28 )   
 
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