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       左近将監とけて侍りける時に、女のとぶらひにおこせたりける返事によみてつかはしける 小野春風  
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   天彦の  おとづれじとぞ  今は思ふ  我か人かと  身をたどる世に
          
     
  • たどる ・・・ 手探りで迷う様子
  詞書の意味は、左近衛将監(さこんゑのしょうげん)を解任されている時、ある女性が見舞いを送ってきた返しに詠んだもの、ということ。左近将監とは左近衛府の三等官(少将の下)で正六位上相当。 
「古今和歌集全評釈(下)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-208753-7) の巻末にある「古今和歌集目録」の記述によれば、春風は 858年に(左近ではなく)右近衛将監となっているという記述がある。

  歌の意味は、
せっかく便りをいただいたが、今は訪ねて行くまいと思います、解任されて役職もなく、自分が誰だかわからないような状態ですから、ということ。

   "天彦" は、山彦・こだまのことだが、1002番の貫之の長歌に「天彦の 音羽の山の 春霞」とあるように、「音」にかかる枕詞としても使われる。 「おとづる(訪る)」は 「音づる」とも書かれ、「音をたてる」という意味もあるので、ここではそれに掛けられている。 「おとづる」という言葉を使った歌の一覧は 327番の歌のページを参照。ただし、"おとづれじ" を 「おとづれ」と見る解釈もある。その場合、相手からの便りを「天彦」と見て、自分を失っている時によく声をかけてくれば、という感じになるだろうか。

  どちらの解釈でもかまわないような気がするが、"今は思ふ" を重く見ると「じ」の方がやや強いか。想像としては、解任されて気持ちが沈んでいる春風に対して、女が 539番の「うちわびて よばはむ声に 山彦の 答へぬ山は あらじとぞ思ふ」という歌(これは恋歌だが)を送ってなぐさめたものに対する返しと見てみたいような気もする。古今和歌集の配列的には、続く平貞文の次の歌が 「いでがてにする」と言っている部分につながるようにも思われる。

 
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   うき世には  門させりとも  見えなくに  などか我が身の  いでがてにする  
     
        ちなみに古今和歌集の作者のうち、左・右近衛将監(あるいは少将)の経験者には次のような人々がいる。

 
     
 845年   左近衛将監  在原業平  
 846年   右近衛少将  在原行平  
 846年   左近衛少将  良岑宗貞  
 850年   左近衛将監  紀有常  
 855年   左近衛少将  紀有常  
 858年   右近衛将監  小野春風  詞書によれば左近衛将監か
 864年   左近権少将  在原業平  右近権少将という説もある
 886年   右近衛少将  藤原敏行  
 890年   右近衛少将  小野春風  
 892年   左近衛少将  藤原仲平  
 897年   左近衛少将  源実  
 897年   左近衛将監  藤原忠房  
 897年   右近衛少将  藤原定方  
 897年   左近衛将監  藤原後蔭  
 900年   左近衛少将  藤原菅根  
 901年   左近衛少将  藤原定方  
 909年   左近衛将監  紀淑人  
 910年   右近衛少将  藤原後蔭  
 910年   右近衛少将  藤原兼茂  
 911年   左近権少将  藤原忠房  
 913年   左近衛少将  藤原兼輔  


 
        また素性法師や壬生忠岑が左近衛将監であったことがあるという説もあるが定かではない。素性法師については、大和物語の百六十八段に僧正遍照の子の話として、「太郎は左近の将監にて殿上してありける」とあるが、素性法師は遍照の長男ではないとされるので、これは素性の兄の由性についての記述かとされている。壬生忠岑については、元永本の古今和歌集に「兵衛府生より左近将監にまかりわたりて、舎人どもに酒たびけるついでによめる」という詞書で壬生忠岑の名で

    柏木の  森のわたりを  うち過ぎて  三笠の山に  我はきにけり

という歌が 870番の後ろにあるが、これだけを根拠に忠岑が左近衛将監であったとは言いづらい。

  878年三月に蝦夷が秋田城を落とすという 「元慶の乱」が発生し、太政大臣・藤原基経は従五位上の藤原保則の進言により、小野春風を鎮守将軍に抜擢してその鎮圧に向かわせ、その結果、乱はその年の終わりまでに収束した。こうした春風の実績を見ると、「仮名序」の中で 「猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれていることが思い出される。

  三善清行が907年に書いた 「藤原保則伝」によると、この鎮守将軍に抜擢される前年に 「前右近近衛将監」の春風は謗り(そしり)を受けて官を解かれ、家居していたとされている。 「左近」と 「右近」の違いが気になるが、この歌はその時期を指しているように思われる。


 
( 2001/11/26 )   
(改 2004/02/08 )   
 
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