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       寛平の御時きさいの宮の歌合せのうた 壬生忠岑  
327   
   み吉野の  山の白雪  踏みわけて  入りにし人の  おとづれもせぬ
          
        白雪を踏み分けて吉野の山に入った人からの連絡がさっぱりない、という歌。 322番の「我が宿は 雪降りしきて 道もなし」という歌の心をとって、その逆をいったような歌である。深い雪を踏み分けて山へ入ってゆく人の後姿の幻影が見えるような歌で、その後ぱったりと音信がなく、どうしているのかという気づかいが感じられる。

  「おとづる(訪る)」は 「音づる」とも書かれ、その意味は 「訪問する・便りで様子をきく・声や音をたてる」ということである。古今和歌集の中では次のような歌で使われている。

 
     
327番    入りにし人の  おとづれもせぬ  壬生忠岑
338番    枯れにし人は  おとづれもせず  凡河内躬恒
963番    天彦の  おとづれじとぞ 今は思ふ  小野春風
984番    住みけむ人の  おとづれもせぬ  読人知らず


 
        似たような言葉に 「とぶらふ(訪ふ)」という言葉があり、それは 202番や 982番の歌で使われている。

  また、この歌の冬山に対し、夏山に入るという歌としては、「夏山に 恋しき人や 入りにけむ」という 158番の紀秋岑(あきみね)の歌があり、同じ出だしを持つ歌としては、325番の坂上是則の「み吉野の 山の白雪 つもるらし」という優れた歌がある。また、業平が惟喬親王を小野に訪問した時の 970番の「忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや」という歌も彷彿させる。

 
( 2001/09/21 )   
(改 2004/02/09 )   
 
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