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       題しらず 紀友則  
827   
   浮きながら  けぬる泡とも  なりななむ  流れてとだに  たのまれぬ身は
          
        浮いたまま消える泡ともなってしまいたい、このまま流れてゆくとさえ期待することのできないこの身は、という歌。あなたなしでは、もう生きているかいがない、ということを水の縁語でまとめた歌である。 「浮き」に 「憂き」が、「流れて」に 「永らへて」(=生きながらえて)が掛けられている。

  "流れてとだに" の 「とだに」は、「と+だに」ということで 「流れて(ゆく)・と・さえ」ということ。次の藤原興風の歌でも使われている。 「と+だに」というかたちを使った歌の一覧は 131番の歌のページを参照。

 
131   
   声絶えず  鳴けやうぐひす  ひととせに  ふたたび とだに   来べき春かは
     
        また、この歌で使われている "なりななむ" は、「成る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の未然形+願望の終助詞「なむ」で、「なってしまってほしい」ということ。次の読人知らずの歌でも使われている。 「ななむ」が使われている他の歌については 392番の歌のページを参照。

 
520   
   こむ世にも  はや なりななむ   目の前に  つれなき人を  昔と思はむ
     
        「たのむ」という言葉を使った歌については 613番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/29 )   
(改 2004/02/10 )   
 
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