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藤原定方は藤原高藤の息子で藤原定国の弟、932年没。生年については、876年・873年・868年などの説がある。906年従四位下、924年右大臣、926年従二位。死後従一位を贈られている。また、三条右大臣として百人一首に次の歌が採られている。
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
定方の歌で古今和歌集に採られているのはこのオミナエシの歌一首のみである。歌の意味は、秋でないと逢えないオミナエシよ、天の河原に生えるものでもないのに、ということ。
"おひぬものゆゑ" の「ぬ」はざっと見ると完了の助動詞「ぬ」のように見えるが、それだと後ろに、連体形につく接続助詞「ものゆゑ」があるので 「おひ+ぬる+ものゆゑ」となるはずなので、この 「ぬ」は否定の助動詞「ず」の連体形である。一つ先の 232番の歌の 「あらぬものゆゑ」と並べて見るとわかりやすい。
また 「ものゆゑ」はそれが最後にあるために 「〜だから」と言っているようにも見えるが、「ものゆゑ−あふことかたき」という倒置であり、「天の河原に生えるものではない−だから−秋でないと逢えない」では意味が通らないので、ここは 「天の河原に生えるものではない−けれども−秋でないと逢えない」という逆接の意味であることがわかる。
「ものゆゑ」という接続助詞を使った歌の一覧は 100番の歌のページを参照。また、「あふことかたし」と言っている歌については 765番の歌のページを参照。
「オミナエシ−秋−七夕−天の河原」という着想に 「七夕−年に一度−秋にしか逢えない」という発想をからめたのがこの歌のポイントであり、結局 「天の河原に立つオミナエシ」というものは否定される幻想であるが、イメージとしては印象に残る。このように 「ないけれどある/あるけれどもない」という、942番の「夢かうつつか...ありてなければ」という感じの手法は、古今和歌集の中の歌にも多く見られ、その代表が次の藤原言直(ことなお)の歌である。
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