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       東の方へ友とする人ひとりふたりいざなひていきけり、みかはの国八橋といふ所にいたりけるに、その川のほとりにかきつばたいとおもしろく咲けりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふ五文字を句のかしらにすゑて旅の心をよまむとてよめる 在原業平  
410   
   唐衣  きつつなれにし  つましあれば  はるばるきぬる  旅をしぞ思ふ
          
     
  • なれにし ・・・ 衣に対しては 「着馴れた」/妻に対しては 「慣れ親しんだ」
  • つま ・・・ 衣の端(褄:つま)/妻
  詞書の意味は、「東(あづま)の国へと友人数人を伴って行った。途中、三河の国の八橋というところで、その川のほとりにかきつばたが美しく咲いているのを見て、木陰で馬を降りて、かきつばたという五文字を句の頭に置いて旅の心を詠むとして詠んだ」歌、ということ。「か−き−つ−は−た」という折句の歌である。歌の意味は、
着慣れた唐衣のように親しんだ妻を都に置いてきたので、この美しい花を見るとそれが思い出され、はるばる来た旅路の遠さをしみじみと感じる、ということ。

  旅の前の日常は旅においては幻である。その幻が目前のカキツバタの花の色をきっかけとして浮かぶ様子がこの歌に表われている。折句による表現は即興感を伝えられる反面、言葉遊びだけが目立ちやすいという難しさがある。しかし、この歌では 「伊勢物語」と元を同じくする詞書の助けもあり、歌の中に散らされたカ・キ・ツ・ハ・タは、内容を表す言葉の外にありながら、歌の背景によくなじんでいる。

  また、 "唐衣" からはじまる、花とは関係のない 「着る−なれる−褄(つま)」の縁語は、後半の 「旅」とつながる 「張る」まで伸びて、歌に絡みつつ、後ろから 「妻」を呼び込む働きもしている。


 
        「唐衣」を使った歌の一覧は 572番の歌のページを参照。

 "唐衣  きつつなれにし" の部分については大きく分けて次の三つの解釈がある。

 
       (A)  唐衣は韓衣であり、美しい着物という意味である  
     
      唐衣の以外にも 「唐紅」という表現があることからもうなづける。それを業平自身が着ていた
      もの(男性用)と取るか、名詞切れを強く見て一般的な衣そのものを言っていると取るかの
      二つのパターンがあるが、いずれにせよ "きつつ" の主体は "つま" ではなく業平とする。

 
       (B)  唐衣は序詞の一部である  
     
      衣自体とする考えをさらに抽象化し、「唐衣〜なれにし」までを "つま" を導き出すための
      序詞、唐衣を "きつつ" の枕詞とする。縁語の要ではあるが、「あしひきの」などの枕詞を
      訳さないように、単なる飾りと見る。

 
       (C)  唐衣は女性の着る唐衣(からぎぬ)のことである  
     
      イメージのつながりを重視して "つま" を主体とするもの。女性の正装である唐衣(からぎぬ)
      を "きつつなれにし" とするには無理を感じるが、後世の謡曲「杜若」(かきつばた)でも二条
      の后の御衣と脚色しているように、一概には否定できない。

 
        ここでは(A)の補強として、万葉集・巻四569の次の麻田陽春(あさだのやす)の歌を挙げておく。

 
            韓人の  衣染むてふ  紫の  心に染みて  思ほゆるかも
      (辛人之  衣染云  紫之  情尓染而  所念鴨)

  古今和歌集の配列から見れば、この歌は次の 「みやこ鳥」の歌と並べることで"つま"が "我が思ふ人"につながるように配置されている。これはもちろん、同じ「伊勢物語」の九段に含まれる歌同士ということもあるが、羇旅歌としての味わいを重んじた結果と見たい。

 
411   
   名にしおはば  いざ言問はむ  みやこ鳥   我が思ふ人 は  ありやなしやと
     
        一方、折句の代表とも言える 「唐衣」の歌を羇旅歌に置くと、物名に折句がないのではバランスが悪い。そこで入れられているのが次の貫之の 「をみなへし」(女郎花)の歌である。

 
439   
   をぐら山  峰たちならし  鳴く鹿の  へにけむ秋を  知る人ぞなき
     
        ただ、この貫之の歌は次の読人知らず(百人一首では猿丸大夫)の歌や、貫之自身の312番の歌などがあるため、「をみなへし」の折句としてはそれほど目立つ存在とはなっていない。

 
215   
  奥山に   もみぢ踏みわけ  鳴く鹿の   声聞く時ぞ  秋はかなしき
     
        また、この業平の 「唐衣」の歌は古今和歌集の中にあって、113番の小町の 「花の色」を 「歌の母」とすれば、「歌の父」とも呼べるもので、どちらも一読して漠然としたイメージが伝わり易く、しかもその中には単純ではない言葉の連携があって、古今和歌集の中の和歌の特徴である駄洒落(掛詞)を含み、歌の生成の過程が追いやすい。他にも素晴らしい歌は多くあるが、絞り込んでゆけば、極端な話、この二つの歌だけをボトルに詰めておけば、他の歌が絶滅しても歌の心は伝わり、そこから再び幾千万の歌が生まれるのではないかと思うこともある。

 
( 2001/09/05 )   
(改 2004/02/27 )   
 
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