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       さきのおほきおほいまうちぎみを、白川のあたりに送りける夜よめる 素性法師  
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   血の涙  落ちてぞたぎつ  白川は  君が世までの  名にこそありけれ
          
     
  • たぎつ ・・・ 水がさかまく(激つ)
  素性法師は僧正遍照の子で、古今和歌集には三十六首の歌が採られている。素性法師の生没年は不詳だが、909年に醍醐天皇が素性に屏風に付ける歌を書かせていることから、古今和歌集成立時(905年)にはまだ存命であったことがわかる。また、兄の由性(ゆせい)は 841年生れ、914年没と知られている。素性が遍照の在俗時の子であったという記録はないが、841年〜850年(遍照出家の年)の生れであろうとされている。

  詞書にある「さきのおほきおほいまうちぎみ」とは藤原良房のこと。没年は 872年。素性と良房には一応次のような血のつながりがある。内麻呂の妻の永継が桓武天皇の寵愛を受けて生れたのが安世という図式である。

 
        歌の方は、悲しみの血の涙が落ちて沸き立つこの川が、白川と呼ばれていたのは、あなたが亡くなる前のことです、という意味で、 "血の涙" と "たぎつ" という言葉で悲しみの激しさを表わしている。一人の涙というよりも、参列した大勢の人々の涙ということであろう。詞書で「送りける夜」と言っているのがリアルな情景描写となっている。古今和歌集の配列から言えば、この歌の "血の涙"は一つ前の小野篁の 829番の歌の 「泣く涙」を受けている。

  この歌で使われている "血の涙" とは直接的な表現で、古今和歌集の他の歌では次の貫之の恋歌や、1006番の七条の后を偲ぶ伊勢の長歌で 「涙の色の 紅は」とあるように 「の涙」として表現がやわらげられている。

 
598   
   紅の   ふりいでつつ  なく涙には   袂のみこそ  色まさりけれ
     
        「白川」は、現在の京都府京都市左京区北白川琵琶町の北白川温泉を経由して、左京区岡崎法勝寺町にある京都市動物園あたりを通り、最後は鴨川に続く白川のことで、左京区岡崎法勝寺町に良房の別邸だった 「白河院」跡がある。他に 「白川」が詠まれている歌としては、恋歌三に次の平貞文の歌がある。

 
666   
   白川 の  知らずともいはじ  底清み   流れて世よに  すまむと思へば
     
        「名にこそありけれ」と結ばれる歌の一覧については 382番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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