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       題しらず 読人知らず  
501   
   恋せじと  みたらし川に  せしみそぎ  神はうけずぞ  なりにけらしも
          
        恋をしないと御手洗川でした禊ではあるけれど、今の自分の状態を見ると、神は願いを聞き入れてくれてはいないようだ、という歌。恋しい気持ちを落とすためにした禊だけれど、恋しい気持ちのままでした禊なので、結局、禊によっても消えない思いを確認しただけだった、という感じである。 「恋せじ」という否定に 「神はうけず」という否定が返ってくるという面白い歌である。

  推量の助動詞「けらし」を使った歌の一覧は 59番の歌のページを参照。

  御手洗川は神社の傍にあって禊などをする川。上賀茂神社(京都府京都市北区上賀茂本山)の御手洗川が有名。なお、この歌は伊勢物語の第六十五段では、「在原なりける男」が詠んだという話になっている。

  この歌の「恋せじ」は、「恋をあきらめよう」ということだが、似たような次の菅野忠臣(ただおむ)の歌は 「もう恋しく思うのはやめよう」と詠っているもので恋歌五に置かれている。

 
809   
   つれなきを  今は恋ひじと   思へども  心弱くも  落つる涙か
     
        また誹諧歌として分類されている 1022番の読人知らずの「いそのかみ ふりにし恋の かみさびて」という歌は、古い恋が 「祟る」と詠っていて、この 「禊」の歌とどことなくつながるものを感じる。

 
( 2001/12/06 )   
(改 2004/01/18 )   
 
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