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       雲林院のみこの舎利会に山にのぼりてかへりけるに、さくらの花のもとにてよめる 幽仙法師  
395   
   ことならば  君とまるべく  匂はなむ  かへすは花の  うきにやはあらぬ
          
     
  • ことならば ・・・ 同じことならば
  この歌は一つ前の 394番の遍照の「花のまぎれに 君とまるべく」という歌と同じ状況下で詠まれたもので、雲林院親王(=常康親王)が舎利会(=仏舎利供養の法会)のために比叡山に来て帰る時、桜の下で別れを惜しむ歌である。

  "匂はなむ" は香るということではなく、色が美しく輝くということ。
どうせなら親王が感嘆して留まるほどに輝いてほしい、このまま帰してしまうのは花の名折れではないか、という歌。 「匂ふ」という言葉を使った歌の一覧は 15番の歌のページを参照。 「やは」を使った歌の一覧については 106番の歌のページを参照。

   "ことならば" は、前の遍照の歌の感じからは、「どうせ散るものならば」というニュアンスのように感じられる。最後の "花のうき" という部分がわかりづらいが、「ダメな花・つまらない花」という感じだろうか。 「ことならば」という言葉を使った歌の一覧は 82番の歌のページを参照。

  幽仙法師には似たような離別歌として、次のような歌もある。

 
393   
   別れをば  山の桜に    まかせてむ   とめむとめじは  花のまにまに
     

( 2001/11/14 )   
(改 2004/02/17 )   
 
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