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       雪の降りけるを見てよめる 紀友則  
337   
   雪降れば  木ごとに花ぞ  咲きにける  いづれを梅と  わきて折らまし
          
        雪が降れば、木ごとに花が咲いたようだ、どれを梅と見分けて折れるだろうか、という歌。

  「木+毎(ごと)=梅」という文字の作りからの発想の歌であるが、この歌は冬歌にあって以下の白雪の中の白梅を詠んだ歌群のしめくくりとして置かれている。

 
334   
   梅の花   それとも見えず  久方の  あまぎる雪の  なべて降れれば
     
335   
   花の色は   雪にまじりて  見えずとも  香をだに匂へ   人の知るべく
     
336   
   梅の香の   降りおける雪に  まがひせば  誰かことごと  わきて折らまし  
     
        上から読人知らず、小野篁、貫之の歌である。335番の小野篁には 「梅」という言葉は出てこないが、詞書に 「梅の花に雪の降れるをよめる」とある。友則の歌を最後に回したのは、同じ 「わきて折らまし」という言葉を含む貫之の歌と並べるためであろう ( 「わきて」という言葉を使った歌については、255番の歌のページを参照)。この二つだけを見れば、意味的には貫之と友則の歌の順が逆でもいいような気もするが、貫之の歌は前の篁の歌の 「香り」に対してもいるので、この順に収まったと考えられる。 "折らまし" の 「まし」が使われている歌の一覧は 46番の歌のページを参照。

  梅の花の甘い香りは冬の出口であり、春への入口でもある。春歌にはじめて 「梅」が登場するのは、5番の読人知らずの歌であるが、そこでは枝のみを見せて花は隠している。咲いていない状態と見るのが自然だろう。それでも春歌であるのは、単純に 「春」という言葉が使われているから、という理由の他に、春告鳥といわれるウグイスを主体とした歌だからである。

 
5   
   梅が枝に   きゐるうぐひす  春かけて  鳴けども今だ  雪は降りつつ
     
        古今和歌集の巻は春歌から冬歌へと直線的に配置されているが、白の中の白(white in white)としてその花を愛でられた梅が、春告鳥の助走の足場として枝を伸ばしているところに、季節の螺旋を感じることができる。

 
( 2001/06/27 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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