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       題しらず 読人知らず  
287   
   秋は来ぬ  紅葉は宿に  降りしきぬ  道踏みわけて  とふ人はなし
          
        秋は来て、紅葉は家の庭に降り敷くけれども、それを踏みわけて訪れてくれる人はいない、という歌。 「秋は−紅葉は−とふ人は」と主語がはっきりしており、動詞の語尾は 「きぬ−きぬ−なし」と転がるようなリズムを持っている。訪れる人がいない、と詠っている歌としては、205番の「風よりほかに とふ人もなし」、322番の「踏みわけてとふ 人しなければ」という歌があるが、それらに比べて寂しさの中にも若干の明るさがあるように思える。

  古今和歌集の配列では次の読人知らずの歌を並べて、この歌の返しのように置いている。

 
288   
   踏みわけて   さらにやとはむ  もみぢ葉の   降り隠してし  道と見ながら
     
        また、この歌の"秋は来ぬ" という言葉には、「秋立つ日よめる」という詞書のついた 169番の「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども」などとは違って、立秋の意味はない。188番の「秋くる宵は 露けかりけり」などと同じで、単に「他の季節ではなく、秋という季節になる」ということである。この歌では間違えようがないが、逆に 「秋がくる」ということで立秋を表した歌もあったな、と振り返ってみるのもよいかもしれない。

  その他、この歌の "降りしきぬ" が、「降り敷く」であるか 「降り頻く」(=絶え間なく降る)であるかは微妙なところである。同じことはこの歌の冬バージョンである 322番の歌にも言える。 「敷く」と 「頻く」では言葉の意味がまったく違うが、結果的には 「降り頻く」ことにより 「敷く」ことにもなるので、「降り頻く」と見ても問題はないように思われる。なお、「降りしく」を「降り頻く」として使っている歌には、363番の貫之の「白雪の 降りしく時は み吉野の」という歌がある。

 
( 2001/12/06 )   
(改 2003/12/02 )   
 
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