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       さがみうた 読人知らず  
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   こよろぎの  磯たちならし  磯菜つむ  めざしぬらすな  沖にをれ浪
          
     
  • たちならし ・・・ 足で土地を平らに均す(ならす)ほど頻繁に行き来して (立ち均す)
  • 磯菜 ・・・ 海藻
  • めざし ・・・ 目の上で切りそろえた子供の髪型
  "こよろぎの" は一般的には 「磯」にかかる枕詞であるが、もともと 「小余綾(こゆるぎ)」(現在の神奈川県中郡大磯町)という地名であり、この歌は相模の国の歌なので、枕詞になる以前の地名そのものを指していると見てよいだろう。

  歌の意味は、
小余綾の磯で一生懸命に磯菜を摘んでいる、あの子の髪を濡らすな、沖に居ろ波、ということ。  "をれ" は 「折れ」ということで 「沖にて引き返せ」と言っていると見る解釈もある。 「をる」が 「居る」か 「折る」かという問題は、7番の「心ざし 深く染めてし 折りければ」などにも見られるもので、どちらとも解釈できる場合は、どちらでもいいような気がする。

 "磯たちならし  磯菜つむ" という部分のリズムがよく、波に命令している優しい歌だが、その裏にはかすかに 「子供が波にさらわれる」というダークなイメージも合わせ持っている。どこか 「然し今、誰あつて、泣かうなどとは思わない」というフレーズのある堀口大學の訳した、ポール・フォール(Paul Fort)の「空の色さへ陽気です 時は楽しい五月です」という詩(「月下の一群」に収録)を思い出させる。

  また、 "たちならし" という言葉は、439番の貫之の歌にも「をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の」と使われていて、一般的には「頻繁に行き来する」という意味の 「立ち均す」であるとされている。ここでは海藻を採るために一生懸命磯の岩の上を行き来している様子と見ておく。

 
( 2001/12/05 )   
(改 2004/02/23 )   
 
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