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       寛平の御時、うたたてまつりけるついでにたてまつりける 藤原勝臣  
999   
   人知れず  思ふ心は  春霞  たちいでて君が  目にも見えなむ
          
        詞書は直前の 998番の大江千里の歌から引き継いでいる。「寛平の御時」は宇多天皇の時代。 
255番の勝臣(かちおむ)の歌の詞書には 「貞観の御時」とあるので、宇多天皇の時代に勝臣が歌を奉ったというのはやや疑問だとする見方(
「古今和歌集全評釈(下)」 (1998 片桐洋一  講談社 
ISBN4-06-208753-7)
 )もあるが、ここではそのままにしておく。ちなみに貞観年間は 859-877年、寛平年間は 889-898年。また、大江千里には 「句題和歌」を 894年に奏上したということが知られているが、勝臣の場合には特にそのような記録はないようである。

  
人知れず思うこの忠誠の心は、春霞のように立ち表れて、お目にとまるようであって欲しいものです、という歌。 「春霞」を詠った歌の一覧は 210番の歌のページを参照。 "思ふ心" を述べたものとしては、次の忠岑の「古歌にくはへてたてまつれる長歌」がある。

 
1003   
    呉竹の  世よのふること  なかりせば  いかほの沼の  いかにして  思ふ心を  のばへまし
  あはれむかしべ  ありきてふ  人麿こそは  うれしけれ  身はしもながら  言の葉を  あまつ空まで
  聞こえあげ  末の世までの あととなし  今もおほせの  くだれるは  塵につげとや 塵の身に
  つもれることを  とはるらむ  これを思へば  けだものの  雲に吠えけむ  心地して  ちぢのなさけも
  思ほえず  ひとつ心ぞ  ほこらしき  かくはあれども  照る光  近きまもりの  身なりしを  誰かは秋の
  くる方に  あざむきいでて  み垣より  とのへもる身の  み垣もり  をさをさしくも  思ほえず
  ここのかさねの  中にては  嵐の風も  聞かざりき  今は野山し 近ければ 春は霞に たなびかれ
  夏は空蝉  鳴きくらし  秋は時雨に  袖をかし  冬は霜にぞ  せめらるる  かかるわびしき
  身ながらに  つもれる年を  しるせれば  いつつのむつに  なりにけり  これにそはれる  わたくしの
  老いの数さへ  やよければ  身はいやしくて  年たかき  ことの苦しさ  隠しつつ  長柄の橋の
  ながらへて  難波の浦に  たつ浪の  浪のしわにや  おぼほれむ  さすがに命  惜しければ
  越の国なる  白山の  かしらは白く  なりぬとも  音羽の滝の  音に聞く  老いず死なずの  薬もが
  君が八千代を  若えつつ見む
     

( 2001/12/11 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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