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       おきの国に流されて侍りける時によめる 小野篁  
961   
   思ひきや  ひなの別れに  おとろへて  海人の縄たき  いさりせむとは
          
     
  • ひな ・・・ 田舎 (鄙)
  • たき ・・・ たぐって
  • いさり ・・・ 漁
  
かつてこんな境遇になると思っただろうか、鄙びた田舎に身を引いて、海人の手繰る縄を使って漁をするとは、という歌。  小野篁(たかむら)が隠岐に流されたのは 838年十二月。840年に召還されている。 802年生れであるので、当時の年齢は三十代後半である。

  この歌は都での生活と、手遊びとしては海で魚を採ることぐらいしかない隠岐での暮らしの落差を詠っている。 "ひなの別れ" は、「都から辺鄙な場所へ身を離される」ということはわかるが、 "おとろへて" というニュアンスが少しわかりづらい。一般的には 「(かつての勢いを失い)落ちぶれて」という意味であるとされる。 「鄙−別れ−おとろへ」という言葉の選び方にねばりがあり、ねじった飴のように練り込まれた感じのする歌である。

  "思ひきや" という言葉を使った歌には 970番の在原業平の「忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや」という小野に惟喬親王を訪ねた時の歌があるが、この歌に続く 962番の在原行平の「藻塩たれつつ わぶと答へよ」との関係からは、次の読人知らずの 「難波」にかかる 「おしてるや」という出だしも、この歌の "思ひきや" と響き合っているように感じられる。

 
894   
   おしてるや   難波の水に  焼く塩の  からくも我は  老いにけるかな
     

( 2001/11/15 )   
(改 2004/02/08 )   
 
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