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       をがたまの木 紀友則  
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   み吉野の  吉野の滝に  浮かびいづる  泡をかたまの  消ゆと見つらむ
          
        「あわヲカタマノ ゆとみつらむ」に 「をがたまの木」の物名を含む。吉野の滝に浮かび出る水の泡、それが玉が消えたように見えたのであろうか、という歌。 "見つらむ" の部分がややわかりづらいが、ふと玉が消滅したように見えたのは、水の泡が消えたのだったか、という感じか。

  「滝の白玉」といえば、次の紀惟岳(これおか)の歌のように 「飛び散る水しぶき」のイメージだが、ここでは "浮かびいづる" ものとしてとらえている。また、この歌の "たま" は 「玉」に 「魂」が掛けられていると見る説もある。

 
350   
   亀の尾の  山の岩根を  とめておつる  滝の白玉   千代の数かも
     
        オガタマの木と言えば、今では宮崎県西臼杵郡高千穂町が町のシンボルとしてしているように、神社などに植えられているモクレン科の常緑樹を指すが、昔はこの名前が他の文献に見られないため、どのような木を指すかが一種の秘伝とされていた。歌道の流派によって多少の違いがあるようだが、これを「古今伝授」の「三木一草」と言う。「和歌秘伝鈔」 (1941 飯田季治 畝傍書房) によれば、それは以下のものである。
  • をかたまの木 ・・・ この歌
  • めどの木 ・・・ 445番の文屋康秀の「花の木に あらざらめども」の歌
  • けづり花 ・・・  上の歌の詞書
  • かはな草 ・・・ 449番の清原深養父の「うばたまの 夢になにかは なぐさまむ」の歌
  「けづり花」とは、445番の歌に付けられた詞書の「二条のきさき、春宮の御息所と申しける時に、めどにけづり花させりけるをよませたまひける」のことを指しているのだが、どうもこのあたりからしてあやしい臭いがする。

  もちろん、わからない言葉があればそれを調べたいと思うのは人情であり、「古今伝授」という流れによって古今和歌集に限らず伊勢物語等も伝え守られてきたという一面もあるが、「古今伝授」についてはその内容よりも、石田三成に囲まれた細川幽斎が 「古今伝授」の相伝を絶やすなという後陽成天皇の再度に渡る勅命により危機を脱したという逸話の方が興味を引かれるものがある。

  ちなみに細川幽斎から山本春正を経て服部南郭に伝わった南郭の自筆書と飯田氏の家蔵書をベースにしたと書かれている 「和歌秘伝鈔」では、「をかたまの木」について、その「古今伝授」の本文として、
  • をかたまの木は 「小玉木」であり、「か」の字は休字(やすめじ)である。
  • 「玉木」とは常緑樹を一般に指し、葉が玉のように光ることを指す。
  • 「玉木」の代表は榊である。
  • 松の葉、紅葉、柏木や朽木、麦、稲に至るまで光るものはみな 「玉木」と言うことがある。
  • 雪国で越年の用意に用いる松を 「年木」と言うが、それも 「をかたまの木」と言う。
という説を紹介した後、その評釈として、をかたまの木が 「小玉木」であるというのは馬鹿らしい説であり、神を宿らせるために用いる榊の枝を 「招霊之樹」とするのが妥当であろうと述べている。また付記として、ナンジャモンジャの木を指して 「をかたまの木」と言うことがあるが、それは 「をかたまの木」がよくわからない木の代名詞として使われているからに過ぎない、とも述べている。これに類似した話としては、現在の一円玉の表の図柄は 「若木」(=若い木一般)をデザインしたものだが、それをオガタマの木であると見る説もある。

  友則は古今和歌集の撰者の一人であるから、当時はそれが何を指していたかは当然わかっていたはずである。現在のオガタマの木がこの歌の 「をがたまの木」であるという保証はないが、「古今伝授」での混乱を見ると、それがあたかも不確かな情報のプールから "浮かびいづる" ように現代では定説になっていることは面白い。

 
( 2001/08/21 )   
(改 2003/12/11 )   
 
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