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       人のもとにまかれりける夜、きりぎりすの鳴きけるを聞きてよめる 藤原忠房  
196   
   きりぎりす  いたくな鳴きそ  秋の夜の  長き思ひは  我ぞまされる
          
     
  • きりぎりす ・・・ コオロギ
  • いたく ・・・ ひどく
  藤原忠房は生年不詳、915年に正五位下、928年没。歌の意味は、
コオロギよ、そんなにひどく鳴く(泣く)ものではない、この秋の夜のように長くつらい思いは自分の方が優っていて、それでも自分は我慢しているのだから、ということ。胡蝶楽などの曲を作り、笛の名手でもあったといわれる忠房の歌ということで、「さて、そこで一曲」という感じに見てみたい気もする。

  自然の物に比べて自分の方がより優っている、大変なのだ、というパターンは、590番の坂上是則の「我が恋に くらぶの山の 桜花」という歌や、紀友則の 561番の「宵の間も はかなく見ゆる 夏虫に」という歌や次の歌などの恋歌に見ることができる。

 
563   
   笹の葉に  置く霜よりも   ひとり寝る  我が衣手ぞ    さえまさりける  
     
          忠房の歌は古今和歌集にあと三首採られていて、これらもこの 「きりぎりす」の歌と同じくクセのない優しい口調の歌で好感が持てる。

 
576   
   いつはりの  涙なりせば  唐衣  しのびに袖は  しぼらざらまし
     
914   
   君を思ひ  おきつの浜に  鳴くたづの  尋ねくればぞ  ありとだに聞く
     
993   
   なよ竹の  よ長き上に  初霜の  おきゐて物を  思ふころかな
     
        また、この歌で気になる点は、詞書の 「人のもと」と "長き思ひ" の意味である。 「人のもと」とは女性の家なのか、知人の家なのか。そこで感じている 「長き思ひ」とは何なのか。一般的に考えれば 「人」は女性で、「長き思ひ」はずっと恋慕っているが叶えられない気持ちということだろうが、それではどうも歌の雰囲気と合わないような気がする。

  本居宣長「古今和歌集遠鏡」では、「人」をその家の主(あるじ)とした上で 「きりぎりす」をその人に見立て、「思ひ」を心労として「
御亭主アノキリ/゛\スト同ジヨウニアマリ泣カシヤルナイ  心苦ガ多ウテ秋ノ夜ノ長イノガ  メイワクナコトハ貴様ヨリ  拙者ハサナホノコトヂヤワイ」と見ているが、これもまた微妙なところである。 「きりぎりす」を詠った歌の一覧は 244番の歌のページを、「いたく」という言葉が使われている歌の一覧は 893番の歌のページを参照。

  情報が足りないのでどのような憶測も受け入れられる歌だが、ここでは原点に戻って、あまり色を付けず、秋の夜の侘しさをそのまま詠ったものと見ておきたい。

 
( 2001/09/12 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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