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       題しらず 読人知らず  
973   
   我を君  難波の浦に  ありしかば  うきめをみつの  海人となりにき
          
        私をあなたが、恨みのある状態のまま放置していたので、この身はつらい目にあったことです、という歌。 "我を君  難波の浦に  ありしかば" という前半がわかりづらい。

  次の歌のように 「難波」を 「何は」に掛けていると見る説もあるが、「難波の浦」を 「何は思はず」と同列に見るのはやはり苦しいような気もし、微妙なところである。

 
696   
   津の国の  なには 思はず  山しろの  とはにあひ見む  ことをのみこそ
     
        それ以外は、「浦」に 「恨み」を、「浮き布(め)」(=波に浮いている海藻)に 「憂き目」(=つらい状態)を掛けているのは、古今和歌集の他の歌でもよく見られる掛詞である。 「うきめ」という言葉を使った歌の一覧は 755番の歌のページを参照。

  「ありしかば」は 「有り+しか+ば」で 「しか」は過去の助動詞「き」の已然形であり、「いたので」という意味。この 「しか」を使った歌の一覧は 172番の歌のページを参照。 "海人となりにき" の 「にき」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」がついたもので、他の歌で使われている例については 226番の歌のページを参照。

  この歌には続く 974番の返しが付いており、そこで 「いづこをみつの 海人とかはなる」と 「みつ」を拾っていることから、「みつ」には 「見つ」と地名の 「三津」(あるいは御津)が掛けられているものと考えられる。

  さらにこの歌には、「このうたは、ある人、昔男ありける女の、男とはずなりにければ、難波なる三津の寺にまかりて、尼になりて、よみて男につかはせりける、となむいへる」という左注が付いており、それに従えば 「海人」には 「尼」が掛けられているということになるが、詞書ではなく左注ということもあり、そこまで見るかどうかは微妙である。ちなみに 「三津の寺」は現在の大阪府大阪市中央区西心斎橋にある三津寺か、とされている。

 
( 2001/11/29 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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