| 時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの嘆きもなく喜びもなきことを思ひてよめる | 清原深養父 | |||
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光の射さない谷には春も訪れないので、咲いてすぐ散る心配もない、という歌。言葉の調子はよいが、根が腐っているような感じの卑屈さが感じられないでもない。元歌として 52番の藤原良房の「花をし見れば 物思ひもなし」の歌を押さえているのだろうか。 「よそ」という言葉を使った歌の一覧は 37番の歌のページを参照。 「光が射す」ということでは、この歌の逆を詠った次の布留今道(ふるのいまみち)の歌がある。 |
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| こちらは石上並松(いそのかみなみまつ)が 886年に従五位下に叙されたことを喜ぶ歌であり、共に喜びを分かち合おうという気持ちが見える。 |
| ( 2001/08/30 ) (改 2004/02/24 ) |
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