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       藤原のこれをかがむさしの介にまかりける時に、送りにあふさかを越ゆとてよみける 紀貫之  
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   かつ越えて  別れもゆくか  あふ坂は  人だのめなる  名にこそありけれ
          
     
  • かつ ・・・ 一方では
  • 人だのめ ・・・ 人をあてにさせる
  詞書にある「藤原のこれをか(藤原惟岳)」は、
「古今和歌集全評釈(中)」 (1998 片桐洋一  講談社 ISBN4-06-205980-0) によれば藤原高経(たかつね)の子で、武蔵介赴任は 898年のことであるといわれる。 「送りにあふさかを越ゆとてよみける」とは、送別の時に 「あふ坂を越ゆ」という題で詠んだ、ということ。

  
逢うという名が付いている一方で、越えて別れてゆくものなのか、「あふ坂」は、まったく人をあてにさせるまぎらわしい名前だな、という歌。 「逢ふ」坂という名前からは、それを越せばもっといいことが待っていそうだけれど、実際は 「逢ふ」坂を越すとは、すなわち 「別れてゆく」ということなのか、という恋歌仕立ての趣向なのであろう。 「あふ坂」を詠った歌の一覧は 374番の歌のページを参照。

   "かつ越えて" という詠い出しが特徴的だが、同じ貫之の 880番の歌にも「かつ見れば うとくもあるかな 月影の」という歌があり、「人だのめ」という言葉を使った歌としては、569番の藤原興風の恋歌に「夢と言ふものぞ 人だのめなる」という歌がある。また、「名にこそありけれ」と結ばれる歌の一覧は 382番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2004/03/13 )   
 
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