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       奈良の石上寺にてほととぎすの鳴くをよめる 素性法師  
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   いそのかみ  ふるきみやこの  郭公  声ばかりこそ  昔なりけれ
          
        詞書にある石上寺(良因院)は現在の奈良県天理市布留町あたりにあった寺。宇多上皇の吉野宮滝御幸(898年)の頃には素性はこの寺に住んでいたらしい。歌の中の "ふるきみやこ" は 「奈良の京」を指すという説と、石上(いそのかみ)にあった安康天皇の石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)と仁賢天皇の石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)を指す(安康天皇の在位は453年〜456年、仁賢天皇の在位は488年〜498年)という説があるが、詞書の「石上寺にて」という感じからは後者であるように思われる。

  歌の意味は、
石上・布留の古い都では、そこで聞くホトトギスの声だけが昔のままだ、ということ。 「ふる」に布留を掛けている。昔は栄えていた場所なのに... というニュアンスがある。

  この "昔" が、歴史としての過去なのか、素性個人の 「思い出」を含むものなのかは判断しづらい。 163番の忠岑の歌の 「ふるさと」と並べると、「みやこ」という言葉を使っていることから過去の歴史について言っているように思われるが微妙なところである。 「いそのかみ」という言葉を使った歌の一覧は 870番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/11 )   
(改 2004/01/29 )   
 
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