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       題しらず 読人知らず  
135   
   我が宿の  池の藤波  咲きにけり  山郭公  いつか来鳴かむ
          
        我が家の池の藤の花が咲いた、ホトトギスはいつ来て鳴くだろうか、という歌。 "藤波" は、風に吹かれて波のように見える藤の花の集まりのこと。左注に「このうた、ある人のいはく、柿本の人麿がなり」とある。

  "藤波" の「波」、"山郭公" のは、語数を整えるための飾りで、「水辺−山」という対比の役目もしている。歌全体としては「波−池−宿−藤−咲きにけり」という前半で「こちら側の用意は整った」という気持ちを表し、「山−郭公−いつか−来鳴かむ」という後半で 「かなたから訪れるものを待つ」という気持ちを表している。ただし、 "いつか来鳴かむ" で表されるその待つ気持ちは、「早く来て欲しい」という願望ではなく 「来るべきものがそろそろ来るだろう」というニュアンスであるように見える。

  古今和歌集の配列で言えば、この歌は夏を待つ歌として夏歌のはじめに置かれており、藤の花はすでに春歌下で次の躬恒の歌などに出てきているため、順を追って読んでゆけば、ここで "山郭公" が自然とクローズアップされるようになっている。

 
120   
   我が宿に  咲ける  藤波   立ち返り  すぎがてにのみ  人の見るらむ
     
        また、「藤波」という言葉については、次の恋歌四の歌のように 「並」の駄洒落として使われている例もある。

 
699   
   み吉野の  大川のべの  藤波の   なみに思はば  我が恋めやは
     

( 2001/11/19 )   
(改 2002/10/27 )   
 
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