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       菊の花のもとにて人の人待てるかたをよめる 紀友則  
274   
   花見つつ  人待つ時は  白妙の  袖かとのみぞ  あやまたれける
          
        この歌は 272番の歌の詞書を引き継ぎ、891年頃催されたといわれる 「寛平御時菊合」の時の歌である。詞書は「菊の花の近くで人が人を待っている模型を詠んだ」歌ということ。

  歌の内容は、
菊の花を見ながら人を待っている時には、白い衣の袖かとばかり見間違えてしまったよ、ということ。 「陶淵明(365-427)が九月九日の日に家の近くの菊の花を摘んでいた。菊は沢山あるが肝心の酒がない。ボーッとしていると、遠くから白い衣を着た王弘の使いが酒を持ってやってくるのが見えた。そこでさっそく一緒に酒を飲んでその後に帰した。」という「盈把(えいは)の故事」が背景にある。

  元の 「盈把の故事」では、契沖「古今余材抄」の「
月令にも季秋之月菊有黄花としるされてもろこしには黄なるを正色とする故に」という記述に従えば、そこでは菊は黄色でそこに白衣の使いが訪ねてくるという色の効果になっている。一方この友則の歌では 「白妙の袖」と見間違えているので、そこにある菊は白菊であろう。 "花見つつ" と実際に花と認識しておきながら "あやまたれける" というのは少々おかしいが、菊が揺れている様子を袖が揺れている姿に見えるほど、待ちくたびれているという感じだろう。つまり 「白菊→白妙の袖→王弘の使い→待ち人早く来い」ということで、その裏には早く一緒に酒が飲みたいという気持ちを含めているのかもしれない。

  よって、州浜の様子は 「盈把の故事」を忠実に再現していたものではなかったが、その雰囲気を表しており、友則はそれを汲んで歌にしたと考えるのが自然であるように思われる。

  同じ 「寛平御時菊合」の右方から採られた歌としては、この一つ前に置かれた、次の 「仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる」という素性法師の歌がある。

 
273   
   濡れてほす  山路の菊の    露の間に   いつか千歳を  我はへにけむ
     

( 2001/12/10 )   
(改 2003/11/19 )   
 
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