前にこの雑記帳に「細川幽斎聞書」の内容について、    「新古今は初心の人が見て習うには適さない(見てわろし)」という定家の言葉を引いているのが、目につきました。「歌を心得た人ならいいけれどね(苦しかるまじき)」とも言っています。    と書きましたが、これはその前に「近代風躰云」とあるのを見逃していました。「近代秀歌」なら定家ですけれど、「近代風躰」は「近来風体」のことである、と解説にあるので「近来風体抄」なら定家ではなくて二条良基ですね。    あと「京極黄門庭訓抄云」という言葉がよく出てきますが、解説によるとこれはみな定家(=京極黄門)の「毎月抄」からの引用のようです。「庭訓(ていきん)=親から子への教え」という言葉を一般的に使っているのか、「毎月抄」が「庭訓抄」と呼び習わされていたのか、よくわかりません。    【今日の日経平均】 9,217 -304
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