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古今和歌集に関する雑記

  2002年09月03日(火)   間違い
前にこの雑記帳に「細川幽斎聞書」の内容について、 
 
「新古今は初心の人が見て習うには適さない(見てわろし)」という定家の言葉を引いているのが、目につきました。「歌を心得た人ならいいけれどね(苦しかるまじき)」とも言っています。 
 
と書きましたが、これはその前に「近代風躰云」とあるのを見逃していました。「近代秀歌」なら定家ですけれど、「近代風躰」は「近来風体」のことである、と解説にあるので「近来風体抄」なら定家ではなくて二条良基ですね。 
 
あと「京極黄門庭訓抄云」という言葉がよく出てきますが、解説によるとこれはみな定家(=京極黄門)の「毎月抄」からの引用のようです。「庭訓(ていきん)=親から子への教え」という言葉を一般的に使っているのか、「毎月抄」が「庭訓抄」と呼び習わされていたのか、よくわかりません。 
 
【今日の日経平均】 9,217 -304

  2002年08月29日(木)   幽斎聞書
前にざっと目を通しただけの「細川幽斎聞書」という本を少しづつ読んでいますが、漢字混じりなので読みづらいです。漢和辞典を引いて「如斯」は「かくのごとし(く)」ぐらいはわかりましたが、「不庶幾事」とか「不可勝計」はわかりません。こういうのは何で調べればいいんでしょうね。 
 
内容的にはわりと面白い部分もあります。例えば、歌の風躰(体)の話の中で、「あまりに奇をてらった歌はダメだよ」ということで、後撰和歌集146番の貫之の 
 
またも来む時ぞと思へどたのまれぬ我が身にしあれば惜しき春かな 
 
という歌をあげて、「これは貫之の詠み損じであり、これを詠んだ年に死んだらしいよ。あの歌仙でさえそうなのだから、後の世の人は言うに及ばず。」というようなことを書いています。貫之の辞世の歌としては、拾遺和歌集1322番の 
 
手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ 
 
の方が有名だと思いますが、確かに後撰和歌集146番の歌の左注にも「貫之かくて同じ年になん身まかりにける」とありますね。 
 
また、歌合の歌の話の中で、後鳥羽院の 
 
大空にちぎる思ひの年もへぬ月日もうけよ行く末の空 
 
という歌をあげて、「こいつは空という字を二回使っているから同心病だ」と言っています。二条家とかそういう流れの人たちは、貫之や後鳥羽院の歌などは無条件で崇め奉っているのかな、と思っていましたが、そうでもないようですね。あと、歌詠みはちゃんと先生につかないとダメで、「自得のみにてよしと思ふべからず」とも書いてあります。 
 
【今日の日経平均】 9,620 -146

  2001年05月26日(土)   兼輔と深養父
今日の朝日新聞の夕刊の一面に、(A)の藤原兼輔の歌は(B)の清原深養父の歌の替え歌であろうという記事が載っていました。(A)は後撰集、(B)は古今和歌集にある歌です。 
 
(A) 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな 
(B) 人を思ふ心は雁にあらねども雲ゐにのみもなき渡るかな 
 
言われてみればそんな気もします。インターネットで「兼輔」and「深養父」で検索してみましたが、同じ説は出ていないようです。面白いと思います。 
 
紫式部と清少納言という名前に飾られているとはいえ、こんな地味な話題が一面に載るとは、いい意味で平和ですね。ちなみに私の「古今和歌集の部屋」の木には今のところ(B)の585番の歌は引っかかってきていません。

  2001年04月30日(月)   大井川行幸和歌
今日は躬恒の猿の歌関係で、907年の大井川行幸和歌のことを少し調べました。こういう時に限って二十一代集のCD-ROMが見つからず、探し出すまでに一苦労。 
 
藤原伊衡の「衡」の字は、IME2000の手書き入力で出ましたが、「伊衡」を「これひら」とは読みづらいですね。早速辞書に登録しておきました。藤原敏行の大酒飲みの三男坊だということです。